くわな鋳物
- 主な商品
- 日用品用、 マンホール、グレーティング、電動機器用等の鋳物製品、 梵鐘
- 始まり
- 江戸時代の初期
- 主な生産地
- 桑名市及び周辺地域
くわな鋳物の歴史
くわな鋳物の起源
慶長六年(1601年)、徳川四天王の一人に数えられた本多忠勝公が、伊勢国桑名藩十万石の初代藩主となりました。「くわな鋳物」は忠勝公からの 鉄砲の製造の命をうけ、藩の奨励策のもとで、本格的な、生産が始まったと 言われています。
江戸時代、桑名には朝廷より鋳物製造を許可された、辻内家をはじめと する三軒の「御鋳物師」(おんいもじ)が存在していたと伝わっています。「勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居・・・・」と里謡に歌われたという 、春日神社の青銅鋳物の鳥居の堂々たる威容は、 旅人の目を驚かせたと伝えられています。 他にも、神社仏閣の灯籠、梵鐘、鍋釜類、農機具が、「くわな鋳物」で作られました。
時代は明治に移り、それまで、朝廷の許可を必要とした鋳物の製造は、自由に 開業できるようになりました。桑名では、明治の半ばには、10工場程度になりました。
くわな鋳物の飛躍
明治20年(1887年)、桑名近郊 で、鋳物を造る際に必要な鋳物砂が発見されたことによって、鋳物の大量生産が可能となり、「くわな鋳物」が躍進する大きな原動力になりました。
この頃から、「くわな鋳物」は銑鉄鋳物の鍋釜・焚口・アイロンなどの家庭用日用品 を生産するようになりました。 その後、明治30年代から、製麺機や水道器具、機械鋳物の製造も始まり、 「東の川口、西の桑名」と呼ばれ、わが国の主要な鋳物産地へと成長しました。
その後、「くわな鋳物」は日用品を基盤として発達し、その後、機械鋳物への転換を図りながら活発な生産活動を行ってきました。昭和40年代になると、電気機械、 各種機械鋳物を中心に生産されるようになり、鋳物事業者は200数十社、 生産量は年間約20万トン、年間生産金額は大企業を除いても300億円を上回る、 三重県下で最大の産業にまで成長しました。
近年、市場の変化等によって、平成25年(2013年)には、「くわな鋳物」を生産する鋳物事業者は約20社、 生産量は年間約2万トンになっています。
現在のくわな鋳物
現在「くわな鋳物」の種類は多岐にわたっています。ごはん釜やフライパン、蚊やり器などの家庭用日用品、ガス器具、工作機械、電気機械、建設機械などの機械用の素形材鋳物や マンホール鉄蓋などの土木建設用鋳物の生産を行っています。デザインや機能性の優れた鋳物 の開発にも取り組んでいます。くわな鋳物の技術、技能、ノウハウは脈々と 「鋳物の街 くわな」の若い後継者に継承されています。「くわな鋳物」は、商品として、 あるいは輸出する機械の部品となって、国内はもとより、世界中で使用されています。