製網
- 主な商品
- 漁網
- 始まり
- 江戸末期
- 由来
- 麻を使った家内工業から綿を使った工場制工業形態へと変わった
- 主な生産地
- 富田・富洲原地域
製網の歴史
伊勢湾の漁業を背景として、 当地域の漁網製造は江戸末期から富田・富洲原地域を中心として発達しました。
明治期に入り、 漁網生産は問屋制家内工業の形をとり、漁網問屋は四日市港に陸揚げされた麻(あさ)で周辺の家内工業者に「手すき網」 を賃加工させていましたが、生産性は低く、漁期になると、たちまち売り切れてしまったといわれています。
その後、原料を麻から綿糸(めんし)に切り換えることにより、機械編網(へんもう)の研究開発が行われ、明治30年代には工場制工業形態へと変わっていきました。
また、 大正初期には編網機が動力化され、製網工業は大量生産の時代になりました。
昭和12年には四日市港からの輸出総額のうち、 漁網は22%を占め、陶磁器に次いでいました。
現在も本市の北部、 富田・富洲原の両地区は、我が国の水産業を支える漁網生産の拠点で、漁業を取り巻くきびしい状況の中、その生産量は、 愛知県に次いで全国第2位であり、 優秀な技術により品質のよいものを作り続けています。