大矢知そうめん
- 主な商品
- 大矢知そうめん
- 始まり
- 江戸時代の末期頃
- 主な生産地
- 四日市市大矢知地区
- レシピ
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大矢知そうめんの歴史
大矢知そうめんは、 約200年前(江戸時代末期)から「三重の糸」 「伊勢そうめん」として知られ、農家の副業として生産されるようになりました。
言い伝えによると、 ひとりの旅の僧侶(そうりょ)が朝明(あさけ)川のほとりの農家に一夜の宿を請(こ)うた際、親切にもてなされたお礼として、 そうめんの作り方を教えたのが起こりといわれていますが、また、播州(ばんしゅう)兵庫県、 現在もそうめんの生産地であり、 “揖保(いぼ)の糸” の名で知られています) からそうめん製造者が大矢知に移り住んだことが始まりとも言われています。
大矢知地区にそうめんが生まれる背景には、 鈴鹿おろしと朝明川の清流という、気候と風土に恵まれ、加えて北勢地域の小麦の生産が、 原料の供給に便利であったことがあげられます。
大正時代中頃には、 それまでの手延べ生産から機械生産に次第に移り、乾うどんもつくられるようになりました。
しかし、 太平洋戦争の影響で急速に衰え、手延べそうめん生産量としては、全国の1%にも満たない小規模生産ではありますが、 手作業で生産される味はコシの強さが評判であり生産が追いつかないほどです。